満足死について、または心のコミュニケーション

「満足死」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。 尊厳死は、よく使われる言葉だが、いまひとつ漠然としていて分かりにくい。


 

高知県佐賀町で地域医療に邁進して来られた医師の疋田善平先生はこの満足死を提唱されている。尊厳死は客観的にも評価されるべき亡くなり方だけれど、第三者の思いや都合も介在しやすい。満足死はあくまで本人の願いに重きが置かれ、第三者の評価は二の次である。つまり、客観的には決して良好とは思えない環境下でも、本人が希望し選択し、満足していれば良しとする。いかに死ぬかよりいかに自分らしく生きるかによりウエイトが置かれる。


 八十四歳になられる疋田先生はこの理念に基づいて、三十有余年にわたり、在宅で多くの患者さんを看取ってきた。たとえば、入院させたほうがより衛生的で手厚い看護が受けられそうな一人暮らしの患者さんの場合でも、本人が庭の見える自宅で最後まで過ごしたいとの強い願いを持っていれば、それを支援する体制を組む。今でこそ、介護保険制度である程度自宅で支える仕組みができてきたが、先生はずっと以前から医療や介護のチームで本人の希望を最優先した生活を支える実践をされてきた。


  背景には地域での保健師を中心とした訪問を軸とする生活の場での生活習慣病予防などの粘り強い保健・健康増進活動や、地域全体を一つの病院とみなす全村病院構想があり、住民が率先して参加する住民主導型医療の実践がある。


  こうした早期からの取り組みの結果、住民参加で病気になる以前の予防・一次予防が熱心に取り組まれ、プライマリーヘルスケアの充実により、地域の医療費は斬滅し、国保料の引き下げが実現し、人口4,800人、65歳以上1,210人の地域で、寝たきり者は当初の42人から8人へと激減、反対に在宅における死亡率は52%と、周辺地域の倍以上となっている。つまり、本人の希望に沿って自宅で看取れる体制が整っている。

  この春、その疋田先生の本拠地である拳ノ川診療所を訪問する機会を得た。愛媛からの一行で、泊まり掛けで、先生のお話を聴かせて頂き、翌日の昼過ぎに解散となった。私はせっかくの機会と思い、昼食を先生とご一緒させていただいた。そして、ある意味では未踏の領域である口のケアの重要性について自分の体験を交えてお話させていただいた。黙って傾聴しておられた先生は、ひとしきり聞き終えられたあと、とても感慨深げに、いい話を聞かせてもらいましたと静かに応えられた。そして、今自分のかかりつけの患者さんで特別養護老人ホームに肺炎の後発熟を繰り返して具合の悪い人がいるのだが、診てもらえないだろうかと言われる。では、これから参りましょうということになり、意気投合した私たちは黒潮が洗う海岸の丘の上に建つ老人ホームヘと向かった。口周辺のマッサージやリハビリを行い、口腔ケアを施し、義歯を調整した。すると、コミュニケーションの取れないと思われていた男性が、問いかけに対して、受け答えができるようになり、表情もしつかり戻ってきた。


  疋田先生の要望で、看護師や介護職員の前で二度も口腔ケアの手技のデモンストレーションを行った。口腔内には以前、顎の骨を骨折したときに留められていた金属のプレートが粘膜から突き出ており、近医の協力を得てこれを除去し、縫合手術まで行った。発熱の原因は口の中の細菌とこの感染源だったのだろう。後に、予後は良好との報告を頂いた。口腔ケアを適宜行うことで免疫力は向上し、容態は安定することと思う。家路に就いたのは夜もふけ、帰宅したのはもう次の日になっていた。疋田先生からは私の帰りを待っていた妻に心配せぬようにとの心配りの電話が入っていた。


  自分が自分らしく生きることが満足死につながるとすれば、回りに気持ちが伝わらなければならない。自分が心の支援をされているということに気づいたとき、心のこわばりが取れ、気持ちが表れる。 ぎりぎりのところまで、心のコミュニケーションを取るためのツールの一つに口腔ケアも入るのだと思う。


(升田歯科院長)

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